翻訳と辞書
Words near each other
・ コンスタンティノス・ケンテリス
・ コンスタンティノス・シミティス
・ コンスタンティノス・ステファノプロス
・ コンスタンティノス・ツァツォス
・ コンスタンティノス・ツィクリティラス
・ コンスタンティノス・ドゥーカス (アンゲロス)
・ コンスタンティノス・ドキシアディス
・ コンスタンティノス・ドクシアディス
・ コンスタンティノス・ハルキアス
・ コンスタンティノス・パレオロゴス
コンスタンティノス・パレオロゴス (東ローマ皇子)
・ コンスタンティノス・フィリッポウ
・ コンスタンティノス・フォルトゥニス
・ コンスタンティノス・ポルピュロゲンネトス
・ コンスタンティノス・マノラス
・ コンスタンティノス・ミツォタキス
・ コンスタンティノス・ミトログル
・ コンスタンティノス・ミトログルー
・ コンスタンティノス・メンドリノス
・ コンスタンティノス・ラスカリス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コンスタンティノス・パレオロゴス (東ローマ皇子) : ミニ英和和英辞書
コンスタンティノス・パレオロゴス (東ローマ皇子)[こ, ね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
皇子 : [みこ, おうじ]
 (n) imperial prince
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

コンスタンティノス・パレオロゴス (東ローマ皇子) : ウィキペディア日本語版
コンスタンティノス・パレオロゴス (東ローマ皇子)[こ, ね]
コンスタンティノス・パレオロゴス(Κωνσταντίνος Παλαιολόγος, Konstantinos Palaiologos, 1281年頃 - 1334年)は東ローマ帝国皇帝アンドロニコス2世パレオロゴスの次子、専制公、帝位継承候補。共治帝ミカエル9世パレオロゴスの同母弟。
1294年に専制公に叙せられ、1319年にはアルバニア・ヴァロナの行政官となる。1320年、甥で共治帝のアンドロニコス3世が恋愛問題から実弟マヌエル専制公を誤って殺害すると、父アンドロニコス2世はこれを廃嫡し、代わりにコンスタンティノスと、その非嫡出子ミカエル・カタロス(Μιχαήλ Καθαρός)を帝位継承候補に据えた。翌1321年、反旗を翻したアンドロニコス3世との間に内乱が勃発すると、コンスタンティノスは父の陣営に加わり、テッサロニキの行政官に就任する。しかし1322年、アンドロニコス3世によって捕らえられてトラキア都市ディディモティコンに拘禁され、その場で修道士となる事を余儀なくされた(修道名カリストスΚάλλιστος)。彼は内乱が終結した後も修道士としてつつがなく生き、1334年に亡くなった。なお、息子ミカエルのその後については知られていない。
コンスタンティノスは2度結婚しており、どちらの妻もエウドキア(Ευδοκία)と言う名前であった。これらの結婚からは子供が生まれなかったようである。息子ミカエル・カタロスはカタラ(Καθαρά)という名前の女性との間に生まれたもので、正式の結婚ではなかった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンティノス・パレオロゴス (東ローマ皇子)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.